東亜道路工業の歴史

  ■1970年 大阪万博開催  ■1971年 沖縄返還協定調印  ■1972年 札幌オリンピック開催  ■1973年 本州と九州を結ぶ関門橋開通、オイルショック  ■1978年 伊豆大島近海の地震、宮城県沖地震、日中平和友好条約調印

  ■1970年 大阪万博開催  ■1971年 沖縄返還協定調印  ■1972年 札幌オリンピック開催  ■1973年 本州と九州を結ぶ関門橋開通、オイルショック  ■1978年 伊豆大島近海の地震、宮城県沖地震、日中平和友好条約調印

  ■1970年 大阪万博開催  ■1971年 沖縄返還協定調印  ■1972年 札幌オリンピック開催  ■1973年 本州と九州を結ぶ関門橋開通、オイルショック  ■1978年 伊豆大島近海の地震、宮城県沖地震、日中平和友好条約調印

1970年代

経済低成長時代に入り、新分野の開拓・新製品開発へ。

A乳剤を使用したスラブ軌道(A乳剤は1973年販売開始)
当社初の国際工事 クスカトラン空港(1976~1979)

1970年
(昭和45年)

雄武合材工場・旭川合材工場など12の工場と、徳島出張所・神戸営業所など4つの営業所、京都かも川荘・那須山荘の2つの福利厚生施設を開設

東京証券取引所一部に指定替え

  • 大阪万博の駐車場に初めてカラーコート採用
  • 横浜工場に本格的なレイコールド生産設備完成
  • 神戸港コンテナ埠頭第5バースヤード舗装工事施工
《神戸港コンテナ埠頭工事現場》

1971年
(昭和46年)

白井合材工場・瀬棚合材工場など8つの工場と、長野営業所・関東支店など7つの拠点を新設

1972年
(昭和47年)

社章を商標登録

《新社章》
  • スリップガード工法開始

1973年
(昭和48年)

  • A乳剤販売開始
  • ハイアスG販売開始

1974年
(昭和49年)

建設業法改正による建設大臣許可(特‐48)第3226号(以後更新)

安全公害室を新設

事業目的を追加。「浚渫工事、土質改良工事、産業廃棄物処理工事」

PCBヘドロ公害処理工施工開始

  • HRバインダー販売開始
  • ストックセット販売開始

1976年
(昭和51年)

  • ペネトール販売開始
  • 半たわみ性舗装CAセット工法開始
  • 初の国際工事クスカトラン空港のアスファルト工事を受注(~1979年)

1977年
(昭和52年)

事業目的追加変更「国内外における各種請負工事、各種スポーツ施設工事請負、各種スポーツ機器の輸入製造販売、産業廃棄物処理剤の製造販売、不動産の売買・仲介、賃貸借及び管理」

宅地建物取引業法による宅地建物取引業 東京都知事免許(1) 第33430(以後更新)

1979年
(昭和54年)

  • ペネトールS販売開始
  • リサイクリング舗装(中央プラント方式) 開始
  • 再生スタビライザー工法開始
  • 7月 トヨタ自動車販売㈱の車両基地、稲沢センターのコンクリート床舗装工事および名港センターなどの補修工事を引き継ぐ
  • 12月 大口センター第2期建設工事を受注
《名古屋港・トヨタ輸出基地》